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グレートウォーク 〜長城紀行〜(全7回)

第1回「長城ウォークへの旅立ち」

写真・文=Diego Azubel  訳=榎本ミキ

 2年前までは「長城」について知っていることと言えば「中国にある」ということくらいだった。そして「中国」について知っていることと言えば「そこには長城がある」ということだった! 「フランスにはエッフェル塔、アメリカには自由の女神、そして中国には長城がある」、僕には大抵の外国人同様ひどくお粗末な知識しか無かった。
 しかし僕はほかの人とはほんの少し違った。その時僕は、3ヶ月後に中国の8つの省(甘粛、寧西、陝西、山西、内蒙古、北京、天津、河北、遼寧)にわたって残っている長城の徒歩旅行に出かけようとしていたのだ。僕の心の中の「長城」はまだまだ旅行パンフレットで見かける立派な建築物のままだったけれど。
 2000年6月末、甘粛省の嘉峪関から渤海の山海関まで歩こうと4つの国々から集まった5人のメンバーが記念すべき旅の準備を開始した。メンバーは壮大な計画に強い興味を持っていたが、歩き通すには予想よりもずっと長くかかることが分かり、10日後には4人に、そのまた10日後には2人に、そして最後の仲間もひどい病気になり、その後の9ヶ月は僕ひとりで歩くことになった。
 2000年9月24日。この旅行のスポンサーを見つけ出した僕はロンドン発イスタンブール経由の飛行機で北京に降り立った。写真家の僕はこの旅程全てをドキュメンタリーとして残すことになっていたので、荷物は35キロにもなった(中身のほとんどはカメラ、カメラ、カメラだ)。
 北京で国慶節のお祭り気分を楽しんだ後、10月4日、長城の最西地点にむけ60時間かかる列車に乗った。列車は国慶節を北京で過ごして故郷に帰る人々で混雑していた。人、人、人の有様で、乗客は誇張ではなく、どこでも場所さえ有れば寝ていた。トイレにだけは誰もいなかったが、そのすぐ隣りの手洗い場でさえ人々のベッドとして使われる始末だった。車両には暗黙のルールが有り、どんなチケットを持っていようとも一旦場所を離れればその場所は取られる運命となった。
 それにもかかわらず人々のパワーもまたすごかった。フレンドリーで、おおらか、間断無くお喋りをし、食べ物をわけあい、歌を歌い、果てはダンスまでして、だだっ広い国土を走る列車の旅の無聊を慰めていた。この列車の旅はそれだけで一つの物語になるほどのものだった。そして、これからの壮大な旅への正に序章でもあった。

嘉峪関画像

 10月7日、僕らは待ちに待った旅への昂揚感でいっぱいになって嘉峪関駅に到着した。この嘉峪関の街には海際の味わいがあった。海はもちろんないのだが、ゴビ砂漠という砂の海に囲まれているせいに違いない。 チーリエン山脈からの新鮮な風のおかげで街は清潔で活気に満ちていた。工場の煙突からは煙が出ていたけれども、風が空気を浄化しているように見えた。風景は首都北京の混沌とは全く様子を変えて、青空が僕たちを歓迎してくれた。
 最初の夜、僕たちは嘉峪関の要塞跡のそばで寝ることにした。その建物はおそらく何百年も前に千人もの兵士や工夫が建てたものなのだろう。当時は僕たちが持っている最新のテントや寝袋はなかった筈だ。仰向けになり空が星で埋められていくにつれ、夜はゆっくりとふけていった。長城をめぐる僕たちの旅の初めての特別の夜だった。
 晴れて寒い夜の翌日は、素晴らしい天気になった。僕たちを待ち構える長い道のりのための食料(大量の乾パンや・・・)などをまとめて、2000年10月9日「グレートウォーク」は始まった。

(2003年4月号掲載)

第1回 第2回 第3回 第4回 第5回 第6回 最終回 
インタビュー(ディエゴ・アズベル)
 おまけ(北京長城保護法)
第1回 第2回 第3回
第4回 第5回 第6回
最終回 インタビュー(ディエゴ・アズベル) おまけ(北京長城保護法)
ディエゴ・アズベル画像1

PROFILE
Diego Azubel(ディエゴ・アズベル) フォトグラファー、アルゼンチン出身。嘉峪関から山海関まで徒歩で長城を歩く。その行程を写真とドキュメンタリー映像で記録。チャリティ基金もたちあげた。
ディエゴ・アズベルのホームページ

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