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グレートウォーク 〜長城紀行〜(全7回)

第3回「長城」

写真・文=Diego Azubel  訳=榎本ミキ

 この旅の途中で幾度となく聞かれたことが「毎日毎日長城を歩いて、長城に飽きることはないの?」ということである。
 でも実際のところ、長城は毎日姿を変える。その周りの風景、そこで食べるもの、出会う人々、歩く地形、起きる出来事、野生動物、植物も変わる、一つだって同じものはない。一日一日が僕にとっては新しい発見であり、新しいことだった。
 例えば甘粛では僕は乾燥しただだっ広い砂漠を歩いていた時、突然前方に湖(貯水池)を見つけた。地形はだんだんと丘のようになり、いくつもの美しく作られた墓が長城の片側に並んでいた。砂が長城のあちらこちらに侵食し、そこでの感覚は海辺にいるかの様、広大な青いラグーンにまるで長城がもぐりこんでいるようだった。 まるでビーチのような砂、水面に移った青い空、長城はまるで飛びこみ台のようになって湖岸でとぎれ、8メートルほど上の長城から美しい水面がのぞける。僕 は何ともいえない畏敬の念でそこに突っ立って、しばらくその風景を呆然と見ていた…。

穴蔵画像

 長城は忘れ去られることはなかったけれども、農民や村の人々からは、他の天からの恵みと同じように当たり前の存在で、そして活用されていた。農民は長城に穴を掘り、そこで眠る。(そして僕たちもそこを活用した)それらの穴は僕たちのようなでかい西洋人が眠るのにも適した大きさで、居心地のいい干草のカーペットをしきつめたものさえあった。中には長城の壁を利用して家を作る農民もたくさんいて、それで何度か人々の家の屋根を通らざるを得ない時もあった。またある所では長城をきりくずして、そこをトラックやトラクターで通り抜けできるようにしたところもあったし、長城を道として使っているところさえあった。
 でも、長城の最初の目的であるボーダーライン(境)としてや、遊牧民やモンゴルの勢力と戦うことにつかっているところはもうなかったけど。
 始めは長城が丁重に扱われていないのを実際に見て、また農民や村人たちが長城がどこに続いているかさえも知らないことをちょっと奇妙だと思った。
 ある場所では長城が何マイルも途切れてその先も分からなかったので農民に聞いてみても知らない。でも実際には長城はそこからすぐの場所にあったりした。
 長城はどこにあるかと尋ねると長城は北京にあると答えた人もひとりや二人ではなかったのだから。彼らは実際にそのこわれかけの土の壁が長城だとは知らなかったのだ。
 村人達は彼らの土地で働くのであって、長城を歩くのではない。「長城は外国人のためのものだ」と彼らは言う。
 初めはそんなふうに長城が扱われているということを不思議に思ったものだ。長城を保存するのではなく、壊したり、穴を掘ったり、長城のレンガを持って帰って家を作ったりして、長城に惹かれていた僕にとっては不当に扱われている、という感じを受けたりもした。
 でもよく考えてみると、長城がどこに続こうと、彼らの知ったことではないというのは当然なのではないのだろうか。おそらく彼らの祖先の多くが長城を作らされている過程で亡くなっている。地元の人たちにとっては長城は世界の七不思議でもなんでもない。長城は神秘の建造物としてや、美しい旅行のアトラクションとして建てられたものではなく、歴史上最も人を苦しめた建設物のひとつで、そしてその犠牲になった人の多くは村人、農民達の遠い祖先なのだから。

長城と集落画像

 地元民にとっては微妙な存在の長城ではあったが、僕にとっての長城は仲間だった、それも忠実な仲間である。必ず僕のために待っていてくれるとわかっていたし、途中で途切れることがあっても、どこか先で待っていてくれることがわかっていた。彼女(=長城:作者は長城にたいしてshe、herという表現をよくつかっている)との再会はいつもうれしいものだった。長城が途切れているところを歩くのは本当に退屈で疲れた。そして彼女(長城)をみつけると、その疲労感は吹き飛び、苦もなく歩けた。長城は僕が毎日話し掛けることができる相手でもあった。
 長城の方も時々寂しがっているようにもみえた、だから僕が歩くことによって彼女(長城)の仲間になっているように考えてみるとまた楽しかった。でも農民たちこそが今までずっと彼女(長城)の仲間であり、共存して来た。そしてこれからもずっとこの関係は続いていくのだろう。
 寧夏では、山を抜け砂漠を通り、そしてまた山々を越える、それから黄河をこえ、砂丘と凍った川を抜けていく。山峡は丘が続いていた。長城は丘を上がったり下がったりしながら、乾燥した川や谷をぬけ、そしてまた砂漠に入る。陜西からやっと旅行パンフレットでみたようなレンガの広い長城が姿をあらわしてくる。そして3度目になる黄河を渡った。山西省に入り、深い谷から岩山を歩く。毎日毎日が違うことの連続で、そして長城自身もひとつとして同じものがな かった。
 いくつもの省を歩いていくことは、中国がどれだけ広大か思い知らされ、これだけたくさんの文化が存在することに驚かされた。違うようにみえるのは長城だけではなく、泊まらせてもらう家々も違ったし、食べさせてもらう食事、話し掛けられる言葉も違った。(僕が習った中国語はお粗末なものだったから、少なくとも僕が感じられる限りでは違った)僕の普通語は地元の人に習って覚えたものだから、僕の中国語というのはいろんな方言のミックスなのかもしれない。

(2003年6月号掲載)

第1回 第2回 第3回 第4回 第5回 第6回 最終回 
インタビュー(ディエゴ・アズベル)
 おまけ(北京長城保護法)
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第4回 第5回 第6回
最終回 インタビュー(ディエゴ・アズベル) おまけ(北京長城保護法)
ディエゴ・アズベル画像3

PROFILE
Diego Azubel(ディエゴ・アズベル) フォトグラファー、アルゼンチン出身。嘉峪関から山海関まで徒歩で長城を歩く。その行程を写真とドキュメンタリー映像で記録。チャリティ基金もたちあげた。
ディエゴ・アズベルのホームページ

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