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グレートウォーク 〜長城紀行〜(全7回)

第6回「地元の人々」

写真・文=Diego Azubel  訳=榎本ミキ

 夜は長城に掘られた横穴や、山の洞穴で、またあるときには長城ののろし台でまるで彼女(長城)に守られているように眠ったりした。幸運なことに眠る場所をみつけることはそんなに問題ではなかった。
 農民達や羊飼い達のもてなしは今までに受けた親切の中でも格別だった。テント、寝袋、簡易コンロ、食料などを持って僕たちは旅を始めたものの、始めてすぐにその重い中身がほとんど必要ないことがわかった。僕がひとりで歩いた最後の9ヶ月間、テントやコンロなどは持ち歩かず、(寝袋はどんな状況になるかもわからないので携帯した)多くは、長城のそばで暮らす地元の人々にお世話になった。こういった人々こそ、僕の旅を可能にしてくれた人たちだった。彼らはほぼ毎晩、毎日、家に招きいれてくれた。僕が長城を歩いていると今日はもう(彼らの)家で休んで、明日の朝また始めればいいと薦めてくれた。ご飯を食べさせてもらい、冬の間は寒さをしのがせてもらい、水のボトルをいっぱいにし、そして朝にはその日の食料を持たせてくれた。ある家族など僕の衣服が薄すぎて暖かくないだろうとウールの服をくれたりした。4000もの行程を食料、水、調理用具をかかえて歩くことを考えたら、これはとてもありがたいことだった。

羊飼い画像

 不幸なことに、そういった人たちは僕らの社会で『貧しい』と(誤って)認識される人々である。しかし僕たちが彼らを貧しいと表現するのは、貧困の意味をよく理解していないからではないだろうか。豪華な服を着ていないから、豪華な車にのっていないから、コンピュータ、携帯、電話がないから貧しいと区別する、でも本当は彼らは僕たちが思うより『Richer』(豊か)なのである。
 それらの人々はほぼ自給自足し、居心地のいい家に住み、何より温かい心をもってい る。中国語も話せない、見ず知らずの人を家に招きいれ、僕よりずっと小柄なのに重いバックパックをかわりに持ってくれたりする。でっかい図体で髭がもじゃもじゃな怪しい外見の僕を招きいれ、ご飯を食べさせてくれて、そして眠る場所を準備してくれる。
 彼らは彼らが望むものは全て持っていて、僕が他の人も持てればいいのにと思うもの、いわゆる発展したといわれる社会ではほとんどみつけることができない、無条件の信頼とほんとうの優しさまで持っている。
 僕たちが旅を始めた頃、その時はメンバーがまだ4人いた、僕たちは家が10軒にもみたない村に入った。一軒目の家の外には馬が何匹かいて、砂漠を歩いてきた僕たちの眼に緑の木々がまぶしく写った。
 夕暮れ時で、僕たちはお腹がすいていた。
 4人のうち2人が家に行って状況を話したほうが、4人でいきなり押し掛けるよりびっくりしなくていいだろう、と家に近づいて行った。家のおじいさんは僕たちの姿、遠くにいる2人の姿をみて4人全員が家に入ってくるように言った。僕たちが家に入ると、奥さんがすぐに台所に入っていき、なべの音や蒸し器の音は僕たちの口をつばでいっぱいにした。優しくて小さいおばあさんは、おじいさんが何かを言う前から僕たちの食事を用意し始めてくれたのだ。おばあさんは若かった頃には美人のしるしだったであろう纏足をしていた。おじいさんは洗面器にお湯をいれ、僕たちの足の前にだしてくれた。これ以上何を望むだろう。(たぶんマッサージもいいかな)

地元の人々画像

 おじいさんとおばあさんの家族や親戚が僕たちのいることを知り、家の中は人でふくれあがった。テーブルに箸がおかれ、座るように呼ばれた。ごはんが用意できた。僕が今までみたことがないほどの、たくさんの甘い中国風パンケーキがテーブルの上に山になっていた。いつも食べているようなパンケーキではなかったけれど、それらは完璧だった。1週間ずっと甘いものを食べていなかったし、実際とてもおいしい味だった。その日は何時間も歩き続けて、朝ごはんのお粥を食べたきりだった、しかもそのお粥でさえ満足な量ではなかったから、僕たちはそのパンケーキの山を制覇し始めた。しかしその山は低くなるどころか、どんどん高くなっていく。それでも僕たちは出された野菜とパンケー キの山をほぼ制覇し、おなかがいっぱいになった。夕食の後すぐに僕たちは眠りについた。本当に楽しい夜だった。
 この世の中で知らない人が4人も来て、家の主人がためらいもなくごはんを食べさせてくれるところはあまり多くないのではないだろうか。
 ある時には、朝の7時半、歩き始めてたった30分で僕の膝が痛み出した。その時は偉大な男にして羊飼いのChaoHaiTungが彼の家に招き入れてくれ、休ませてくれた。
 寧夏省では、冬の寒い夜、僕がある村についたとき、ひとりの少年が僕を彼の家までつれていってくれた。彼のお姉さんは妊娠8ヶ月で、お母さんは腕を骨折して包帯をまいていた。そんな状況にも関わらず、彼らは僕の訪問をとても喜んでくれて、ちゃんと僕がごはんを食べたか気をつかってくれていた。朝出発する時には蒸しパンとフルーツのすてきな弁当を持 たせてくれた。
 このような話はたくさんあって、僕が長城を歩く一日に、ほぼ一件は遭遇した。そしてそれらの優しさが毎日毎日、毎キロ毎キロ、旅を続けさせてくれる源となった。
 スポンサーの人たちの助けで僕は旅を始めることができ、地元の人たちの助けでその旅を終わらせることができた。

(2003年9月号掲載)

第1回 第2回 第3回 第4回 第5回 第6回 最終回 
インタビュー(ディエゴ・アズベル)
 おまけ(北京長城保護法)
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第4回 第5回 第6回
最終回 インタビュー(ディエゴ・アズベル) おまけ(北京長城保護法)
ディエゴ・アズベル画像6

PROFILE
Diego Azubel(ディエゴ・アズベル) フォトグラファー、アルゼンチン出身。嘉峪関から山海関まで徒歩で長城を歩く。その行程を写真とドキュメンタリー映像で記録。チャリティ基金もたちあげた。
ディエゴ・アズベルのホームページ

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