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インタビュー 〜ディエゴ・アズベル〜

THE LONG WALK ON THE GREAT WALL

文=金子晴彦

 香港へ向かうドラゴン航空の中で読んだサウスチャイナ・モーニングポストの特集記事に見事な長城の写真が載っていた。崩れかかる長城の砦の窓から見はるかす山並の頂稜を行くドラゴンの姿だ。The long marchと題されている。思わず読んでみると2000年の10月から2001年の12月にかけて延々15ヶ月、甘粛省の嘉峪関から河北省の山海関までほぼ4000キロ(正確な距離は分からない)を歩いた若者がいて、その写真展が香港で開催されているという案内だった。
 長城が呆れた長さだということは知っていた。しかし、それを一気に歩いて、しかも撮影して報告したなどという例は知らない。一体どんな人間がそんな馬鹿げた事をしたんだろう。得意の野次馬根性は抑え様も無く、仕事の終わった翌朝、エレベーターに乗って香港島ミッドレベルの小さな画廊に出かけた。観覧者は当然なのだろうか僕以外にはいなかった。期待した本人はいなくてイギリス人の若いオーナーが10時過ぎにやって来た。写真はあまり多くは無いのだが見事だった。砂漠と長城と山、そして思いがけないほどに多くの現地の人々の姿。長城にいささか気がひかれている人間としては誠に嬉しい偶然の出会いだった。
 それにしてもなぜ北京ではなく香港なのか。そして歩き通した若者はなぜアルゼンチン人なのか。15ヶ月も一体どうやって歩いたのか。疑問は一気に膨れ上がり、本人に会わないではいられなくなった。それが、展覧会を見て1ヶ月、北京で実現した。

 事務所に現れたのはがっしりとした体格ながらすらりと背の高い、右耳たぶにピアスをした現代青年だった。短いあご髭がやや野性的ではあるものの15ヶ月長城と付き合い続けた人間とはとても見えない。すっと入って来て部屋の空気にすっと馴染んだ。
 ディエゴ・アズベール、1970年生まれ、32歳。90年にファッションカメラマンとしてスタートしたがほどなくトラベルジャーナリストに転向した。
 1998年には国際機関の要請でアフリカのモーリタニアで奴隷制度の実態について取材した。当初1ヶ月ほどの滞在予定だったが、奴隷解放に尽力する回教徒の聖者マレブ氏に出会った。氏は奴隷を買って開放することもあったが奴隷は解放されても旱魃で仕事が無く、結局元の主人のところに戻り更にひどい境遇になることが多かった。そこで氏は解放するだけではなく自活の手段の教育もしていた。そんなこんなを取材している内に深みにはまり結局10ヶ月滞在した。この間ルッター協会等からの支援を受けた。その後ロンドンに出て取材結果の発表等をしたが病気になり回復に5週間ほどかかった。
 1999年2月にロンドンにいたシンガポーリアンの友人が21世紀になる記念に中国の長城を15人の僧侶と一緒に歩こうという企画を立てた。長城の上を一列に歩く15人の僧侶。ディエゴの中で写真のイメージが膨らんだ。結局、マレイシアの僧侶1人=レベレンド・スマナ・シリ(在ロンドン)、二ュージーランド人2人(在アメリカ、ヨーロッパ)、イタリア人1人、そしてディエゴがこの企画に乗った。言い出しっぺのシンガポーリアンは参加せず、15人の僧侶も幻となった。俺は長城を歩いたんだと自慢したい、21世紀のミッションにしたい、写真を撮りたい、参加者の目的は様々だったが長城の知識と言えば、アメリカには自由の女神が有り、中国には万里の長城が有ると言った程度の恐ろしく幼稚なものだった。長城がどれだけ長いかも知らず、端から端まで歩くには3ヶ月程度で済むと思っていた。ディエゴは中国に入って初めて地図を見て甘粛省の嘉峪関(ジャ・ユー・グアン)から河北省の山海関まではそれ以上、5ヶ月くらいかかるのかと思った。それも大きな間違いだった。団結からは程遠いパーティだった。
 2000年9月に全員が北京に集合、10月9日に嘉峪関を出発した。大変寒く、2日目にはマレイシアの僧侶が寒さに耐え切れず凍傷にかかった。5日目の夜、砂漠で寝ていたところ警察がやってきて逮捕された。軍事禁区のすぐそばだったかららしい。そばとは言っても中には入っていないと主張し、ようやく解放された。これを機会にパーティはまとまりを失い、10日目までには遅れていた僧侶が姿を消した。探しに戻ったが人の姿は無く、長城を横断している自動車道路が有った。そこで街に戻ったのだろうと判断した。その後しばらくしてイタリア人とニュージーランド人の一人が脱落、もう一人のニュージーランダーとディエゴだけが残った。
 撮影機材で膨らんだディエゴのザックは35キロも有り、シュラフを除いて野営用具は一切持てなかった。一日に4〜40キロ歩いたが、重い荷物と、荷物を背負ったままの無理な姿勢での撮影等でディエゴは次第に疲労し、膝が腫れて来た。11月末には我慢が出来なくなり長城のそばの2本の煙突が有る施設に助けを求めに近づいた。ところがそこは軍の施設で彼らはスパイ容疑でまたまた逮捕されてしまった。夜の6時から朝の8時まで尋問された。カメラやフィルムは没収され5日間も拘留された。ようやくスパイではないことが分かり解放されたがフィルムの現像代だと称して5000元を要求された。そんな金はとても無いので北京のアルゼンチン大使館に電話してとりなしてもらい300元にまけてもらった。解放されても膝は未だ痛み、更に2週間静養し12月15日に再スタートした。
 春節2月にはスポンサーから送られてくる冬用の装備を待って、とある村で過ごした。待てど暮らせど荷物は届かず9日目にようやく届いた。一緒にいたニュージーランダーは腸チフスにかかり回復に3週間かかった。回復した時には歩く情熱を失っていて北京で2日だけ女友達に会って来るといって出かけたきり帰ってこなかった。以来ディエゴはたった一人になった。
 しかし、長城周辺の遊牧民、農民は親切で、ディエゴが姿を見せると何度も何度もお前一人かと聞いて、納得すると彼を泊め、食事も出してくれた。土の家の中は綺麗に整理されオンドルも毛布も有りとても暖かかった。暗くなると寝て、明るくなると出発する。テント生活だととてもこうはゆかない。結局テントに泊まったのはごく初期の4回だけで途中でテントは放棄した。食料も殆ど持たなかった。出発前には予想もしていない事だった。人に会わなかったのは陝西省北辺の山の中を行った2日間だけで、その時は長城の砦の中に泊まった。
 村人はまた大変正直で、ある時ザックを置いて長城の写真を撮りにあちこち4時間ばかりうろついて戻って来るとザックの横に村人が座っていた。ザックの持ち主が帰ってくるのを何時間も待って話し掛けたがっていたのだ。長城を行くおかげで人々との出会い、交流が出来、旅は次第に単なるウォークではないもっと厚みの有るものに変わって来た。それにつれて写真も長城だけでなく村人の写真が多くなった。北京の近郊に来てもこうした出会いは変わらず古北口でも農民の家に泊めてもらった。
 そして、紀元前7世紀に建設が開始され、以後2000年、様々な王朝により建設を継続されて来た長城は様々に姿を変え、一日として同じ景色は無く、飽きるなどと言うことは無かった。長城はいつの間にかディエゴの彼女になり、途切れてしまうと彼は不安になった。どっちへ行けばまた会えるのか、頂上の上なら30キロ歩いても疲れないのに、何も無いところでは5キロ歩くだけで疲れ果てた。迷った末に再び長城に出会うと正に彼女に出会ったような喜びを覚えた。
 長城と言う圧倒的な核とその回りに住む村人達との交流、そしてそれを記録に留めると言うトラベルジャーナリストとしての強い目的意識、おかげでディエゴは迷うことなく旅を続けた。5ヶ月どころか1年かかると分かった時点でも肉体が耐えられる限り歩き続けると確信した。無論最初から15ヶ月もかかると分かっていたら始めなかったかも知れない。いつの間にか長城を行く旅が生活になっていった。15ヶ月の間に200本のフィルム、68時間のビデオを撮影した。
 歩くに当たって厳しかったのはあちこちに有るいばらの密生の藪漕ぎ、山西省の山の中の膝まで有った雪、鷹飛仰倒の急な崖等々だった。山海関に至る最後の6日間は3年半ぶりに会う弟と一緒に歩いた。スポンサーのSOSが合流の手配をしてくれた。2001年12月31日に北京に戻り着いたが、途端にコンタックスG2は動かなくなってしまった。

 わずかな時間でディエゴは淡々と15ヶ月の旅の概要を話してくれた。ぼくらも時折長城には行っている。しかしそれはほんの一日の訪問だ。それが毎日、15ヶ月。会って聞いてみて初めてどんな旅だったのかがうすらぼんやりと分かった。ディエゴと言う男は写真を撮って報告すると言う目的だけを手に、細かな事前計画などは無しに旅を始める。それが次第に枝葉を伸ばし、豊かな意味を持ち始め、自らはいつの間にか長城と一体化し、そこが生活の場となってしまう。人々との交流がそれを可能にする。きっとアフリカでもそうだったのだろう。こうして人生を紡いでゆく生き方、若い彼はそれを次第に確立しつつある。彼の話を聞いたぼくらはこんな生き方も有るのだと驚いた。
 そのアズベールがトコトコに7回にわたってThe long march紀行をよせてくれた。彼のグローバルな人柄がにじみ出てくる文であり写真だった。仕掛けた当人として嬉しくてならない。
そして折よく8月1日には長城保護条例が発効した。この機会にその概要を読者に紹介し、合わせてこの10月に開催される長城ウォークも紹介したい。
 不思議な魅力でぼくらを誘う長城は矢張り単なる石の壁ではない。何かを人間に語りかけ、人間を動かす。ぼくらは既に大きく動かされている。

(2003年10月号掲載)

第1回 第2回 第3回 第4回 第5回 第6回 最終回 
インタビュー(ディエゴ・アズベル)
 おまけ(北京長城保護法)
第1回 第2回 第3回
第4回 第5回 第6回
最終回 インタビュー(ディエゴ・アズベル) おまけ(北京長城保護法)
ディエゴ・アズベル画像1

PROFILE
Diego Azubel(ディエゴ・アズベル) フォトグラファー、アルゼンチン出身。嘉峪関から山海関まで徒歩で長城を歩く。その行程を写真とドキュメンタリー映像で記録。チャリティ基金もたちあげた。
ディエゴ・アズベルのホームページ

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