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京劇徹底!解剖(三国志演義)

長坂坡(ちょうはんは)

三国志演技から題材を得た物語。幼子を守りつつ鮮やかな槍使いを見せる立ち回りもみごとですが、糜夫人を守りそして助けられなかった葛藤などの演技の絶妙さも見どころです。
(ストーリー)
三国時代、劉備(りゅうび)の治める蜀(しょく)を虎視眈々と狙う魏(ぎ)の曹操(そうそう)は八万の軍隊を率いて荊州(けいしゅう)に攻めこみます。劉備はやむなく城を捨てて南へ逃げますが、劉備を慕ってついてきた一般人が多くいたため行軍のスピードが遅く、ある夜ついに曹操軍に追いつかれました。趙雲(ちょううん)は突然の敵を相手に戦っているうちに、劉備から託された阿斗(あと:のちに劉備の後を継いで蜀の君主となる)と劉備の妻・糜夫人(びふじん)を見失ってしまいます。二人を見つけたとき、糜夫人は敵の流れ矢のために足に怪我をして動くことができなくなっていました。趙雲は怪我をしている糜夫人と阿斗を自分の馬に乗せて逃げようとしますが、足手まといになることを恐れた糜夫人は息子の阿斗を趙雲に託すと井戸に身を投げ自害してしまいます。やむなく趙雲は幼い阿斗を抱き、馬に乗ってただ一騎で曹操軍を突破します。満身創痍の趙雲が長坂坡(ちょうはんは)まで辿り着くと、敗走する劉備軍の殿(しんがり)を努めていた張飛(ちょうひ)が待ち構えており、追っ手の曹操軍をくいとめます。

趙雲(ちょううん)
趙雲画像

三国時代の蜀漢の武将、字(あざな)は子竜(しりゅう)。若々しい将軍のイメージがあるため、鎧を表す衣装「靠(こう)」は白か水色で、手には槍を持ちます。背中の旗はかなり重たいものなので、「背虎」という台に挿して背負い、「靠」とヒモで結びつけています。胸に巻いてある赤い帯は飾りであるとともにそのヒモを隠す役割を果たしています。

古城会(こじょうかい)

三国志演義から題材を得た物語。「千里走単騎」の一節です。
(ストーリー)
曹操(そうそう)の大軍に大敗した劉備(りゅうび)、関羽(かんう)、張飛(ちょうひ)は、それぞれが別れ別れになってしまいます。劉備の二人の妻が曹操の捕虜になったことを知った関羽は、二人の妻を守るため、自分もあえて一時的に曹操の捕虜になります。関羽を自分の部下にしたい曹操は手厚くもてなしますが、劉備の居所を知った関羽はやがて二人の妻を連れて脱出します。五つの関所を破り、やっとたどり着いた古城という町で関羽は張飛と再会しますが、曹操に寝返ったと思い込んでいた張飛は城門をかたく閉ざし、中に入れません。関羽は背後からやってきた追っ手の蔡陽(さいよう)の首をとり、やっと疑いを晴らします。

関羽(かんう)
関羽画像

三国時代の蜀漢の武将、字(あざな)は雲長(うんちょう)。真っ赤な顔をしているのは関羽が義に厚い人物であることを表しています。「美髯公(びぜんこう)」の名の通り、しっとりサラサラした長い髯(ひげ)をつけ、手には青龍刀を持ちます。神様である「関帝君」としても知られている関羽の髯は、特別に本物の髪の毛で作られています。

張飛(ちょうひ)
張飛画像

三国時代の蜀漢の武将、字(あざな)は益徳また翼徳(よくとく)。顔が十字に仕切られ、笑っているような目元に蝙蝠(こうもり)が飛んでいるような眉が描かれますが、中国では「蝠」と「福」が同じ発音であることから縁起がよいとされています。背中の旗は通常四本セットで、大軍を率いている武将を意味するとともに力を象徴しています。

郡英会(ぐんえいかい)

三国志演義から題材を得た物語。三国志のハイライトである赤壁の戦いのシーンで様々な英雄が一同に会します。
(ストーリー)
曹操(そうそう)率いる魏(ぎ)の大軍は長江北岸の赤壁(せきへき)で孫権(そんけん)率いる呉(ご)と対峙していました。曹操は孫権のもとへ降伏を促すため策士・蒋干(しょうかん)を派遣。呉の水軍を束ねる軍師・周瑜(しゅうゆ)は、将軍達も招いて群英会と銘打った宴会を設け、蒋干を歓迎したふりをして油断させ、用意した偽物の手紙を故意に盗み出させます。手紙には曹操軍の水軍の将二人が呉に寝返ると書いてあり、怒った曹操は二人を処刑しますが、それが周瑜の策略と気づき後悔します。さらに曹操は同盟国の呉の参謀として派遣されていた劉備軍の軍師・諸葛孔明(しょかつこうめい)の計略にはまり、十万本の矢を取られてしまいます(草船借箭)。周瑜が「苦肉之策」で黄蓋(こうがい)に曹操陣営へ偽りの投降をさせる一方、孔明は友人の 統(ほうとう)を曹操のもとへ送り込み、「連環之計」で水上戦の苦手な曹操をだまし、船と船とを鎖で繋がせます。やがて東風にのって投降すると見せ掛けた黄蓋の船が曹操軍に火をかけると、繋ぎあわされたために身動きがとれない曹操軍の船は焼き尽くされてしまいます。

周瑜(しゅうゆ)
周瑜画像

三国時代の呉の武将、字(あざな)は公僅(こうきん)。呉の孫策(そんさく)、孫権(そんけん)を助けて江南一帯の統治に努めた人物です。呉の人々は「美周郎(ハンサムな周さま)」と呼びました。彼が着ている衣装は「蟒袍(もうほう)」といい、皇帝や宰相などといった身分の高い人が着る公式の服装で、全体に豪華な刺繍が施されています。

甘露寺(かんろじ)

三国志演義から題材を得た物語。「回荊州(美人計)」と続けて上演する時には「龍鳳呈祥」となります。
(ストーリー)
「赤壁の戦い」で大勝利をおさめた孫権と劉備の関係は、徐々にぎくしゃくしていきます。天下の要衝・荊州(けいしゅう)の地の返還を劉備に拒否された孫権は、周瑜と「美人之計」という計略を立て、妹との結婚を餌に劉備を呉におびき寄せます。劉備の丞相・諸葛孔明は孫権の陰謀を見破り、喬玄(周瑜の妻の父)を通じて孫権の母・呉氏(ごし)に真相を訴えます。呉氏はこの計略に驚きまた激怒して息子を叱責します。やがて甘露寺で行われた会見で呉氏は一目で劉備を気に入りますが、中座した孫権はそのままひそかに呉の軍を率いて、会見場である甘露寺を包囲させます。

劉備(りゅうび)
劉備画像

三国時代の蜀漢の創始者、字(あざな)は玄徳(げんとく)。劉備は一般的に黒いウエスト丈の衣装を着るのですが、この甘露寺では「龍袍(りゅうほう)」という衣装を着ています。「龍袍」はゆったりとして貫禄のある衣装で、首が丸く襟が大きく水袖(すいしゅう)がつき、金銀や彩色の糸で龍や花、鳳凰などが縫いとられています。

(2006年3月号掲載)

楊家将演義 三国志演義 その他

(楊家将演義)
「穆柯寨」
穆桂英
「坐宮」
楊延輝 / 鉄鏡公主
「三岔口」
任堂恵 / 劉利華
「打焦賛」
楊排風

(三国志演義)
「長坂坡」
趙雲
「古城会」
関羽 / 張飛
「郡英会」
周瑜
「甘露寺」
劉備

(その他)
「覇王別姫」
虞姫 / 項羽
「鬧天宮」
孫悟空 / 那咤
「貴妃酔酒」
楊貴妃

京劇まめ知識(2)

「三国志演義(さんごくしえんぎ)」
元末明初の羅貫中(らかんちゅう)作の口語小説で中国四大奇書の一つ。後漢末、黄巾の乱が荒れ狂うなか、劉備、関羽、張飛が桃園で義兄弟の契りを交わし乱世に乗り出すのに始まり、呉の孫晧(そんこう)が降伏して普の天下統一が完成するまでの事跡を三国志に基づいて再話したもの。歴史書の「三国志」は、普の陳寿によって魏、呉、蜀三国の歴史がまとめられたもので、この魏志のなかには日本のことを記した倭人伝がある。ちなみに歴史書の「三国志」と小説の「三国志演義」はずいぶん違うものなのだが、日本ではどちらも三国志と呼んでいる。京劇のストーリーは主に「三国志演義」の方をもとに作られている。

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